保育士の大声が飛び交う「保育園」
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保育園で、「あれをやりなさい!」「これはやっちゃダメよ!」と、保育士が大声を出すことをどう思いますか。

そんな「指示・命令・禁止」の言葉の渦の中に子どもを置いてしまうと、主体性、能動性が育まれません。

それに、子どもと大人という関係から視点を変えて、自分が子どもの目線に立って考えてみたら、指示・命令・禁止をされたときの気持ちはどうでしょうか?

きっと騒ぎ出す子どもとまったく同じように「イヤだ!」と素直に思うはずです。

たとえば、子どもが危ないことをするからといって大声を出して止めようとすることは、有資格者じゃなくてもできます。

保育のプロだったら、「怖かったね」と優しく伝えることはできないでしょうか。

子どもを動かすんじゃなくて、自分から出向いて行って、いざというときには助けられる立ち位置についておくこと。

遠くにいて大声を張り上げだけでなんとかしようとするなら、それは手抜きの保育です。自分たちが今、どんな保育をしているのか、客観的に見ていくことが必要なのです。

子どもたちは、一生懸命生きている丸ごとをかじって栄養にしています。だんだん成長とともに、主体性も育まれていき、言いなりになりたくないから、小さな反抗期から本当の反抗の芽を出し、やがて大人になっていきます。

「気をつけてね。危ないことをしないでね」と言うよりも、
「大丈夫?」とそばに行ってあげましょう。

子どもも、心配そうにしながらそう言われると、
「何だろう?」
と不思議に思いながら、だんだんと大丈夫にしなきゃいけないのかなと考えるようになります。

そしてそれは、「気をつけなさい」という意味なのだというところまでも、読み取れるようになります。

そんな段階を踏むことで、何も大声を張り上げなくても、子どもの行動を自然にコントロールできるようになります。これは保育士だけでなく世の中の大人たちすべてに対して伝えたいことです。

「危ないから、やめなさい!」
「面倒なことをしないで、これだけやっていなさい!」
なんて言葉じゃなくて、
「大丈夫やってごらん」
「ほら大丈夫だったね」
と伝えるのです。

何も体験していないのに、「それはダメ」と言って、初めからその機会すらも奪ってしまえば、「ぼく/私は何も体験していないのに~」と子どもは満たされない想いを抱えることになります。どの程度やるとヒヤッとするのか、ハッとするのか、まずはやらせてあげることです。

危なかったら子どものすぐそばに行って、見守ってあげましょう。見守るというのは、ただじっと見ることとは違います。それではただの監視の目です。

そうではなくて、大丈夫だからやってごらん、という気持ちでいつもそばで見守る保育をすることが大切なのです。

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