小さな子どもに、指示・命令・禁止の言葉は使わないことは大事なことです。それはなぜかというと、世の中というのは子どもの権利と大人の権利が等しくあるものだという想いがあるからです。
赤ちゃんは、まだ言葉の引き出しはないけれど、だからといって何も表現できないわけではありません。
たとえば、
泣きたいときには泣くのが赤ちゃんです。
オムツが濡れれば気持ち悪くて泣きます。
自分で出したおしっこなのに、「今、何が起きているの!?」と脳が感じて、嫌がって泣くわけです。排泄と脳は、快不快と連動していて、それをそのまま表現するのが赤ちゃんです。
否定や指示・命令・禁止の言葉を浴びながら育った子どもは、そういう言葉を自分の引き出しに入れて育つことになります。「イヤ」、「ダメ」、「やめなさい」といった言葉を毎日子どもに聞かせていたら、子どもの自己肯定感は育まれません。
0歳~6歳という時期は、人の一生のなかでも、大切な土台を育むための大事な期間です。
「ぼくはぼくのままでいいんだ」
「私は私のままでいいんだ」
という土台となる感覚を、しっかりと届けてあげることです。
それこそが何より保育には大切なことです。否定語を使わない、「指示・命令・禁止」用語を使わない、というのは、ただ文字通りの意味だけではなく、子ども一人ひとりの大切な命を丸ごと受け入れることです。
幼児に対して、
「丸ごとあなたのままでいいですよ」
という肯定的なメッセージを届けることは、今の保育では当たり前のような理想となっています。
でも、
「心の底からそう思っていますか?」
「子どもの『こうしたい』という願いを、きちんと受け止められていますか?」
と問われたら、貫徹できていないことも多いかもしれません。
そういう意味では、盛んに言われる「褒めて育てる保育」も、言葉ありきになってしまっては仕方がないので、注意が必要です。
たとえば、
・誰にでも分け隔てなく「かわいい」という保育
・何に対しても「素敵」「素晴らしい」という保育
こうした保育を、言葉尻だけでとらえて、その意味を考えずに使ってしまう怖さがあります。
子どもの気持ちを考えたとき、保育園で「まぁ、素晴らしい」、「あら、素敵」という言葉が何人もの職員から出て、子どもたちに浴びせていることは、子どもにとってあんまりいい気分ではないはずです。
子どもたちは、「何がどのように素晴らしいのか」、「何がどのように素敵なのか」、その「何がどのように」の部分を伝えてほしいと願っています。
具体的に言うことで、子どものイメージの助けになったり、自信につながったりします。
こんなふうに言葉ありきの保育から脱却し、子どもたちの心に寄り添ってみることが大事になってきます。
「早く」と言わないこともそうです。
子どもからすると「早く、早く」と言われると、「今やってるのに!」、「もうイヤッ!」と思うわけです。
それなのに、追いたてられるように言われると、嫌になってしまいます。
それなら、「明日の朝、困らないように今から準備しておこうか」、「ママも一緒に点検してあげるから」と手助けしてあげたりするのも有効です。
「ときどき忘れ物をするくらい、大丈夫だよ」と、安心の気持ちにさせてあげることも自信となり、成長につながっていきます。
言葉の持つ力を大切にしながらも、言葉だけに縛られない保育。そういう環境づくりについて、まずは自らで深く考えていくことが必要です。